2024.6.2阿佐ヶ谷中学校体育館にて、杉並区が「(仮称)デザイン会議・はじまりの会」を開催しました。
岸本聡子区長は「対話を大切にしたまちづくり」と言っていて、こういう会が「杉並は対話が行われていてよい」と、考える方もいらっしゃるかもしれません。
が、最初に書いておきますが、区民と対話する、といっても、その対話の使い方は「事業推進の先をデザインする」なので、参加した住民、特に道路事業に家を取られることになるので反対している当事者の人たちにとっては、道路事業ありきの推進プロセスに巻き込まれる、罠みたいな恐ろしい代物です。このような「対話(ではない)」を改めなければ、前区政の事業に反対して岸本区長を支持した人たち、もちろん岸本区長自身も、どんどん事業を推進することになってしまいます。
道路事業に対する「対話」の会は、2022年の「さとことブレスト」からはじまりましたが(それなのに何故今回またはじまりの会なのか、とか)その時から「ワークショップ(風)」で区民と対話、という方法が取られています。しかしある事業に対して、それを推進する行政が反対する住民を含めてワークショップをすること自体おかしなことです。
ニシオギの「補助132号線」についての記事はこちら。
さとことブレストは地域(沿線ごと)でしたが、今回「はじまりの会」は三地域合同で、対象は全区民。「デザイン会議の進め方を考える」というよくわからない呼びかけで、なぜか200人近くもが参加。
これまでのさとことブレスト参加者にも通知を出しているので、補助132号線(西荻窪)補助221号線(高円寺:中野方面への道路拡幅)補助133号線(南阿佐ヶ谷・成田東:中杉通りの五日市街道まで新設延伸)の当事者の方も大勢いたようです。そういう人たちは区に対して反対の理由を言いたい、困っていると伝えたくて来ているわけで、「区民の声を聞きます」と言われたら、それで行政の側に影響を与えられると期待するのが当然でしょう。
そうでなくて、岸本区長の「対話」に参加して、まちづくりについて話し合いたい、と考えた人もいるでしょう。申し込み時のコメントを読むと区長と話したい、というのも散見されました。
しかし、区長はよもやの欠席。
さとことブレストのまとめとして開催された23年のシンポジウム(これも道路事業ありきみたいなまとめにされた)の最後に、区長が「次はデザイン会議です!」と発表した鳴り物入り事業の第1回で欠席。ちょっと呆然となりました。
代わりにビデオメッセージを最初に上映。内容も「まちづくりから都市計画道路を考える」はともかく、「道路という公共空間を利用してどのような街にするのか」は、拡幅(延伸)事業ありきと取れる発言であるし、「さとことブレストの終点でありはじまり」「おおまかな合意に至る」とされては、反対する住民に何の合意を求めるのか?と懸念されます。
続いて担当部署の「沿道のまちづくりデザイン係」から会の趣旨説明。
ひどいのは、この部署新設なのに、全員男性(少なくとも当日前にいた人は。女性は受付などに回っていたとしたらなおひどい)。ジェンダー平等は?
追加説明では「今後は地域ごとに」「公民連携プラットフォームを使って」たとえば「空き地(事業用地)にキッチンカーを出したい」という意見が出たら、どうやって実現できるか、部会を立ち上げる、など。今日「進め方」を考える割にはずいぶんさっさと行政が決めてしまっているし、立ち退きを迫られる当事者の前で「空き地にキッチンカー」とは、よくまぁそんな非道なことが言えるものだ。「沿道」というネーミングはそういうことなんだな、と思っていたら、さっそく当事者(133号線)の方から声が上がりました。
「133号線はまだできてない。私たちが住んでいる家なのに“沿道”とは何ごとか」
行政「都の事業なので我々の事業ではない(?)」
「係の名前から“沿道”を外して」
行政「ご意見として伺います」
なにこの「対話」は………この時点で、帰りたくなりましたが、外は雷雨だから残ったけど。
いや、実はもう最初から帰りたくて、私が書いた応募コメントは以下。
「さとことブレスト西荻窪一般区民の会では、ほとんどの人が道路拡幅は不要だ、嫌だ、代わりにこうしたらどうか、と話した。当時はまだみんな「対話」の結果が取り入れられて何かが変わらという期待をしていて、真剣に話し合った。ところがそれをまったく無視してシンポジウム、デザイン会議と拡幅前提で進んでいる。阿佐ヶ谷、高円寺でも同様と聞く。「デザイン会議で言えばいいのに後で文句を言う」と言われるのが嫌なので、仕方なく参加を申し込みます。区民の意見をリスペクトせず、はいはい素人考えを一応聴きました、おしまい、あとは決まったとおりやります、のパターンばかり。ものすごく疲れる。絶望するために参加するようなもの」
我ながらヤケクソでひどいのですが、ところがこんなことを書いたのに、冒頭の区民発言の抽選に当選したので驚いた。
が。
この区民発言、なんと80人もが希望して応募したのに、15人に抽選で絞られ、しかも一人2分。これは完全にお飾りに使われるだけだ、と思い、私は発言内容を全面的に「希望者全員に発言させろ」に変更せざるを得ませんでした。
こうして毎回(阿佐ヶ谷、マスタープラン、施設再編…)会のあり方から闘わなくてはならず、本題に入れない…その間に行政はどんどん事業を進めてしまう。
前区政ではこんな場自体持たれなかったのだから、という人もいるが、「対話しましょう」と言って区民を集める目的が実際は事業推進で、しかもちゃんと意見すら出させないのでは、大問題でしょう。
これは他の発言当選者もおかしいと思っていて、何人かの方は事前に要望書、入り口で全員に発言させろとチラシを配るなどの活動をしておられました。
しかしみなさん「大人」なので、最初は粛々と発言。以下はメモより。[ ]内は私の評価です。
1.[賛成]高円寺「さとことブレスト」のファシリテーター。道路ができたら楽しく歩けるように。通過交通の問題はある。強い反対、賛成があると意見が言えない。新たな住民も来る。必要性安全性を説明 ハードはソフトによって完成する。 道路を作って終わりではない。
2.[当事者・反対]221号線の住民で、反対している。80年以上住んでいる。杉並は緑が多く、人が住みやすい。交通量も人口も減少しており、拡げる必要はない。リノベーションの発想で。
3.[反対]221号線は高さ制限10mの第一種低層住宅地域。閑静な住宅環境を壊されたくない人たちを追い出してはならない。再開発で街が潤うなどは間違い。公がやるべきことは何か。
4.[賛成]阿佐ヶ谷マイタウン協議会(商店街)。最近大きな地震が多い。3.11のとき、阿佐ヶ谷は人で埋まっていた。地域住民45000人、中央線の乗客15000人をどう待機させるか。中杉通りはみんなの力で作った。
5.[当事者・反対]133号線住民。不安な日々。今住宅であるところに道路とは、区民がほんとうに求めているものではない。必要ないと確信している。利権が優先されている。
6.[懐疑的]阿佐ヶ谷南住民。ブレストでは渋滞はほんとうに解消するのか話されたが、青梅街道に交差点を増やすことに専門的検証が必要。防災は133号線を作るだけの課題ではない。木密地域では、住民が災害時に関わることが必要。
7.[当事者・反対]133号線住民。いまある街並みを子や孫に残したい。木を伐ったり自然を破壊したら、再度築くには50年かかる。もう道路は要らない。 環七スモッグでひどいことがあったのに。
8.[全員に発言させろ]後述。
10.[懐疑的]ニシオギ南口住民。道路のことをこれまで何で知らなかったのか、 大変な問題だと今日感じた。にぎやかな商店街が変化している。ニシオギの魅力を消さないで、おいでよ、と、人を招きたくなる街にしたい。
11.[当事者・反対]132号線住民。2012年測量で初めて知って、説明を受けたら、残地買わない、代替地ないという話。毎日不安。ニシオギはのんびりした街で、沿道にはプラタナス。事業認可したから進めるのではなく、ちゃんと検討してほしい。拡げると再開発が必ず来る。そういうニシオギにしたくない。
12.[全員に発言させろ]抽選で、4/5の方がみなさんの前で意見言いたいのに言えなくなった。今後の方法を決める大事な意見、全地域が集まる機会。グループワークで発言できればいい、のではなく、みなさんに直接聞いていただくために応募したのを無にしている。 要望書を読み上げ。
13.[懐疑的]ニシオギのこと研究所。買収で、商店街にマンションばかり建ち、商店がとぎれとぎれになっている。行政は思ってないかもしれないが、道路整備でよくない方に更新されている。1Fは商店を入れるとか地区計画にできないか。道路の経緯の検証が必要。以前の駅周辺まちづくり懇談会は誰もが参加できるものではなかった、その議論の集積、公開、共有が必要。
14.[当事者・反対]132号線住民。戦後すぐの道路計画で、法的根拠も必要性もない。今は車の時代ではない。対案もある。ニシオギのまちづくりは、高い建物ない街を活かすべき。防災というが、延焼遮断は8mで有効という研究もある。
15.[懐疑的]仕事でまちづくりをしてきたが、今はこれでよかったんだろうかと考える。形とか機能の議論だけで、道路、公園、防災を作る。暮らし方の議論がない。街の姿、その上で防災どうしよう、道路どうしようと考えるべき。土地の細分化が進み、何もしないと劣化してしまう。
反対が過半数であることに加え、当事者(住民)の比率が高い。それは当事者のみなさんが、なんとか反対意見を届ける場を求めて、ここに来ていることの証明ではないですか。「デザイン会議は反対意見を言う場ではない」と言われても(それは行政が推進で揺るがないということ)、当事者が意見を述べる場が他にないのだから。
なお、8.は私で、内容は下記。途中「穏やかに喋ってくださ~い」ってトーンポリシング系のヤジを受け、行政からもごちゃごちゃ言われて全部は言えませんでした。
発言抽選に当たったので、ニシオギ愛を叫ぼうと思ったのですが、その前に、こんな会でいいのか?というのが立ち塞がってしまいました。一体何をはじまりの会?これまで私が伝えてきたニシオギ愛はどこに行ったの?
仕方ないのでここはニシオギ愛の話を諦めて、勝手にはじめるな、と、言わないといけなくなりました。
まず、デザイン会議(仮称)と言われて来たわけだけど、係の名前を見ると沿道デザイン、つまり沿道デザイン会議であることが隠されたまま、はじめようとしてる。道路拡幅ありきで、拡幅後の、要は潰した沿道をデザインしますよ、と。今人が住んでいる家は沿道ではない。庭や樹木も沿道ではない。勝手にデザインしてはいけない。
そして発言は一人2分。2分を超えたらマイク切られるのかな?さっさと沿道デザインをはじめましょう、そのためには一人2分、しかも15人。
これ、発言希望が80人もいたと聞いて。ねぇ、行政さん、その応募見てなんとも思わなかったの?考え直そうとは思わなかったの?当初の想定と違っていることがわからない?みんな一人一人の思いがある人間なんだよ、行政の思い通りにはいかないんだよ。
みなさん、ワークショップがしたいんじゃなくて、自分の意見が言いたいから応募したんじゃないの?
発言希望したけど落とされた人は?
やっぱり発言したい人は?
全員が喋るべきだと思う人は?
もしかしたら、発言落選したから来なかった人もいるかもしれない。ここで発言したいと手を挙げるのもちょっと勇気がいること。もちろん私だってケンカ売るの、膝ガクガクだよ。
沿道とやらで、これからもしかしたら最悪立ち退きだの補償だの、センシティブなことのある当事者だっているわけでしょ。「発言者は地域と名前言ってください、動画を配信します」?気軽に言うね。SNSで誹謗中傷されてる議員さんだっているでしょうよ。ましてやこちとら一般市民だよ?
そんな勇気を出して、わざわざ日曜に会に出ようとしてくれた、ねぇ、これだけの人たちを見て、進行を変えようとは考えないのか?発言したい人!この人たちを*1 リスペクトしてほしい。
どうするの?会の進行からして、この人たちをリスペクトしないで「決まったことは変えられない」いや「決めたことは変えない」のなら、この先の道路事業も同じ態度取るってみなされるよ。デザイン会議も対話の区政も信用なくすよ?
(早く道路作りたいから)時間がないから人数制限、お飾りの一人2分、それでいて回答と称して行政が「ご理解いただけるよう」話す時間はいつもフリーハンド。そのゴールはあらかじめ決まったとこに「合意していただく」。
*2 民主主義は時間がかかるんです。わかってください。かけましょうよ、時間。全員話す時間なくして何が民主主義か。
さぁ、発言させるのかさせないのか、検討してください。これで発言させないのなら「決めたことは変えないから」と、ハッキリ言えばいい。そんな結論ありきな対話にかける時間こそ、民主主義にはございません。
*1:リスペクト:岸本区長が阿佐ヶ谷の「振り返る会」で区民の追及に対して「私をリスペクトして」と言ったことから。
*2:民主主義は時間がかかる:岸本区長が杉一小の保護者との懇談で言ったことば。
しかし、どんどん発言を重ねられて(次の人にマイクを持たせて、切れ目なく発言させる)、私ともう一人の方(12番目)の「全員が喋る」意見はなかったことにされて、グループワークに突入。
グループワークは、6,7人の区民と2人の「他の部署の」区職員が車座になり、自己紹介のあと「デザイン会議の進め方」「デザイン会議で扱いたい議題」を話す設定でした。しかし、他のグループでは「区職員が自己紹介しなかった」とか、テーマの言い回しも微妙に違っていたりして、すでに全員が同じ条件で話し合うことになっていません。最後にグループで何を話したか、の発表の時間もなく、全体に区民それぞれの意見が共有されることがなく、単にその場の話で終わってしまった感じ。
ワークショップといえば「ふせんに書く」になってしまっていますが、この会でもふせんに書いただけ。
しかもほとんどは区職員が「まとめて」書いてしまった(黒ペンのふせん)。
ワークショップで「勝手にまとめる」のはご法度だけれど、区職員がそうした知識を持っていたとは思えず、ちゃんとした「ファシリテーター」としての訓練をしているとは思えない。それどころか、道路についても知識がなく、「よく知らなかったが、街が変わってしまうのではと思い」参加したという方が「事業認可とは区が出すのか」「132号線は区道なのか」「第一期工期とはなにか」と基礎的なことを質問しても、答えられず。仕方がないので私が答えました…(132は区道なので、事業認可は区が申請して都が出す。工期は前記事参照)。
なんでそのくらいの情報も参加者に与えず、いきなり話し合いをさせるのか。
全体に視覚障害や車椅子の方も多くきていて、それは障害者団体に依頼して「さとことブレスト」のバリアフリー会をやった流れらしいのだけど(そうでない人もいたかもしれないが、とにかく分断されていて全体が見えない)、私のグループの方は「前回は道路のバリアフリーについて意見を求められた。しかし今日話を聞いてみたら住民の人が立ち退きで反対していると初めて知った。そんな問題ある事業だったのか」というようなことをおっしゃっていました。まさに分断によって情報を与えないからこうなるわけです。
しかも会は、会場全体の司会者(区職員ではなく、民間業者)ひたすら時間がないから早く早くとせかし、「グループをシャッフルします」として話が深まる間もなく、ちがう車座に移動させられました。ちがうところに言っても、これまでどんな議論がされていたか、「ふせん」を見ても意味不明。それに、最初の車座でのふせんについても、その急かす司会者が「自分の話した内容がこれでいいか見て確認してください」と言うだけ。視覚障害の人には介助の人もついてきていたけど、それはハードル高いでしょうし、狭い(人と椅子が多い)会場で、車椅子の人も高齢の人もいるのに「席替え」とは。
これでは道路のバリアフリーもどうなることやら。そうやって時間のかかる人たちを追いてきぼりで「なんでも急かす」ことは結局事業を早く進めたいからだし、「対話」を進めるプロセスまでも効率優先なのは車に便利な直線道路につながっているのではないか。
「区民の声を聴く」といえば、「アンケート」か定番ですが、この会でもアンケートが配られました。杉並区は「LoGoフォーム」というWEBフォーマットを利用していて、それを推奨するのですが、そこもそもそもデジタルディバイドを生み出しています。用紙を配っているのだから、すぐ書いて提出すればいい、と言われても、その「すぐ書いた」ものとあとでゆっくり考えたWEB回答は条件が違うでしょう。
さらに今回WEBで回答しようとして、最初の5段階評価みたいなところに「登壇者の発言について」というのがあり、「15人それぞれ違うのにそれを一項目で評価?」「当事者はリスクを負って出てきているのに、それを関係ないほかの区民に評価させるの?」と、あまりの「リスペクト」のなさにうんざり。しかも「評価」の項目はWEBだと必須になっているのに、紙なら飛ばすこともできて、これまた条件が違う。
なにもかもがバラバラ。
そんなこんなで渾身の批判をまとめてLoGoフォームにコピペしようとしたところ、字数制限「2000字」。フォームは「2000字バージョン」と「60000字バージョン」があり、岸本区長が就任直後に「都市計画マスタープラン」について意見募集したときは60000
字バージョンを使って何百通と来たものを区長は「全部読んだ」と言い、区のHPにも全文公開されていたのに…(どっちの字数を使うのか運用はまちまち)。
きちんと構成を考えて、同じ罵詈雑言が重複しないようボキャブラリーを駆使し、かつては「全部読んだ」区長へのメッセージで締めた長文を削るのもハラが立つので、プリントアウトして郵送しましたが、まったく「民主主義は時間がかかる」のです。じゃあ急かしてばかりいる行政のやっていることは何なんでしょう。このまま「対話」の「まちづくり」が進められるのは、ほんとうに危険だと思います。
私のアンケート全文(2500字)は以下。
「沿道」デザインという言葉に尽きると思う。
道路拡幅・延伸は揺るぎなく実施する、その脇の「沿道」を区民にお飾り的にデザインさせてやる、というのがこの会議(仮称)の狙いなのだ、と確信するに至った。
本当に悪辣だし、しかも立ち退き、減歩の当事者を呼びつけて、あたかも何か道路事業そのものの話ができる場であるかのように期待をさせて、実際は拡幅ありきの「沿道デザイン」に参画させようとするとは、残酷無比、鬼畜の所業としか言いようがない。
都市計画の専門家に聞いたところ、このようなワークショップの手法は土地収用を伴うときには絶対やってはならない、しかも今回採用したワールドカフェ方式は「職場横断の職員研修」や「多文化共生のイベント」などで使うもので、何かのアイディアをまとめるものではない、とのこと。それを聞いて、要は「知り合い、仲良くなる」ことを目的としたワークショップだと理解した。
おそらく区は、これからデザイン会議の「はじまり」にあたり、参加者が沿道デザインのスタッフとして継続的に活動し、実動することを目指すため、初対面の参加者同士がつながる、仲良くなることを「はじまりの会」のゴールにしたのではないか。今後のスケジュールを聞いていると、どうもそうした区民のボランタリーな動員を図っているように思われる。
住民参加のまちづくりといえば聞こえがいい(から200人も来たのだろうが)が、ここにはいくつもの罠があり、そもそもの設定からして悪質な謀略である。
まず、いまだ当事者・地権者の反対が圧倒的な事業について、道路拡幅ありきでの会議の召集。特に当事者・地権者は事業を止めてもらいたいために、意見を伝えるあらゆる機会をつかもうとしている。区長が「対話」という甘い言葉で釣るものだから、余計にチャンスがあると、藁にもすがる気持ちになる。今回発言者には「最初に地域と名前を言え」と案内されたが、これから最悪立ち退きや補償があり得る人が名前と顔出しでYouTubeにまでアップとは、よくも軽薄にそんなことが言えたものだ。それなのに勇気を出して発言しようとしたのは、本当に数少ない発言機会を待ち望んでいたということではないか。
しかし実際に行われるのは「あなたの家や庭は(壊して)沿道になりますよ」「その沿道を(現状を破壊して新しく)デザインしましょう」と、臆面もなく言い放つ会議であり、事業への反対意見を汲み上げる回路ではまったくない。それを当事者・地権者に対しても、あたかも参画の機会であるかのように見せかけて召集するのは、失礼だし侮辱的な嫌がらせであり、具体的な土地と金銭の問題でもあるのだから、もはや詐欺行為ですらある。
ワールドカフェ方式により「意見の違う人が」「仲良くなり」「合意する」という設定も信じがたい虚妄である。まず想定されている「合意」とは区の事業への「同意」でしかない。しかも立ち退きしたくない当事者・地権者と、利権があるにせよないにせよ「にぎわい」だの「安全」だのと道路拡幅をその答えであると信じこんで賛成している者たちとが「仲良く」デザインができるとでも?
道路拡幅がいいと思う者たちは区に協力して、なんなら「沿道」の事業に参画して利益があるとよい、と思い、会を円滑に予定通りに進めたいだろう。根本的に反対したい者は「ここはそういう場ではない」とされ、排除されるしかない。なぜなら、その会が「どういう場か」は召集した区がいくらでも勝手に設定することができ、当日来て「これからどうやって進めるか」などを参加者に問うのは単なる茶番、そこでどうこうできるものではない。
そして、このデザイン会議の運営は、細かいグループトークや小刻みな時間配分、楽しく話し合ってくださいというプレッシャー(トーンポリシング)などの手法を駆使することで、区民が広く(参加者・行政の双方の)多数に向けて意見を伝えることを妨害し、自分が何をしているのか、全体で何が起こっているのか見えなくしている。こんなものは区民の分断と困惑しか生まない。なぜなら行政側が(意図的に)間違った方法をチョイスしているからだ。進行の不手際もわざとではないかと疑わしい。
はっきり言って、このデザイン会議は狡猾な落とし穴である。
反対意見を伝えるために出ようとしたら、それが事業を進めるための道具にされてしまう。しかし「対話の区政」と言いながら、対話の場は決して多くはなく、実質的に反対者どころか、当事者・地権者の声を届ける仕組みはない。だから反対者も出てくるしかない。
このデザイン会議の邪悪な倒錯をなんとか改善しようにも、中から変えるしか今のところ回路はなさそうだ。しかしそのために会議に参加したり、ましてや運営委員会に入るなどしたら、道路拡幅・延伸事業を進めることになってしまうジレンマ。非当事者で反対している者ならジレンマで済むが、当事者にとっては自殺行為になる罠か地雷のようなものである。非当事者としても、ただでさえ苦しんでいる当事者・地権者の人たちのことを思うと、こんな陰湿な企みに手を貸すことになるのは不本意である。
これからのデザイン会議への関わり方をどうすべきか考えると、心が引き裂かれんばかりである。落とし穴に落ちたくないのは当然だし、他人の墓穴を掘るような真似はしたくない。
私が発言(「意見を言いたい人」と申し込み、「発言」と当選の連絡が来て、当日行ってみたら「コメント」呼ばわりされていた)で言った「民主主義は時間がかかる」は、区長が他の件の当事者である区民に対して、区民が望む対話に応じないことの言い訳として言い放ったクリシェである。私は区長への嫌味のつもりで入れたのだが、区長は来場すらしていなかった。あり得ない。
そして最後に適当に会を閉めようとした行政側が「発言にもありましたが民主主義は時間がかかる」とご丁寧に引用してくださった。
しかしこのデザイン会議という悪質な住民への拘束を利用して、行政がやっていることは「時間をかけておいて」その間に「道路拡幅・延伸事業を後戻りできないところまで進める」ことである。
もちろん、そんなものは民主主義ではなく、暴力でしかない。