〈阿佐ヶ谷の原風景を守るまちづくり協議会〉の企画で、今年の4月13日に「羽村駅西口土地区画整理事業住民訴訟」を担当している山本志都弁護士を呼んだ講演会がありました。
その裁判では一度は住民側が勝訴するという画期的なことがあり(しかし荒技でひっくり返された、という話を聞いてみんな仰天)、阿佐ヶ谷の土地区画整理、そして杉並区の道路事業に対抗するヒントが得られるお話でした。
2024.04.13山本 志都弁護士講演会「行政訴訟・土地区画整理裁判を考える」 - 阿佐ヶ谷駅北口・杉一小改築問題情報
さて、現場主義のニシドラでは、さっそくその後のゴールデンウィークに、羽村に行ってみました!
今回は前編:現地がどんなところか、観光案内も交えてお届けします。後編は裁判の話。硬軟とりまぜた前後編スペシャルで羽村の話をお届けします。
羽村(後編):羽村駅西口区画整理の22年 - ニシオギDRUNKerシンブン
個人的な話からすると、羽村には以前遊びに行った(「大菩薩峠」が好きで中里介山の墓参りに行った)ときに、渋い川岸の街並みに、突然このような看板を見つけて、えっ?こんなとこに道路?とびっくり。それが他の地域の再開発や道路事業にも関心を持つきっかけになったのでした。
羽村といえば、玉川上水の起点となる多摩川羽村堰。江戸時代から、ゴールの江戸だけでなく、武蔵野の土地も潤していただき、我が善福寺川にも流量不足を補うために分水していただいた、杉並的にも縁の深い場所なのです。
そんな羽村(駅西口)で何が?
詳しい事業内容などは後編:裁判編で原告となっている住民の方たちの「羽村駅西口区画整理反対の会」からご教示いただきました。
サイトはこちら。
羽村駅西口区画整理反対の会ホームページ - hamuraのJimdoページ
羽村駅西口、多摩川に向かって河岸段丘をくだる傾斜地の街並みを形成する、カーブした坂道や細い旧道が入り組んだこの地域。2003年に羽村市が羽村大橋に通じる40m道路を含む、対象区域すべての道路を碁盤目に整備する事業を策定。エリアは市の面積5%にもあたる42haの住宅地。なんとその地域の30%が道路になる計画!緑ゆたかで閑静な住宅街で1000軒の移転が必要となる事業に当たって、市が取ったのが土地区画整理事業。
これは単純に道路を作るところの家を立ち退きさせて買い取るのではなく、区域全体をパズルを組み替えるように土地の交換を行う方法。パズルったって、人が住んでいる家ですよ、そんな組み替えていいものではない。
土地区画整理事業は、杉並では阿佐ヶ谷問題で三つの大きな地権者とその他の住宅を整理するのに使われるなど、再開発でひとつひとつの区画をまとめて広い区画を作り出すときによく使われる(行政が絡むとは限らず、民間の施工もある)。そうやって広い区画を作ることで、用途を変更します。
しかし、今どき道路事業でこんなことをするのは異例では?大正時代の杉並区(当時の井荻村/町)で、内田秀五郎村長による井荻村土地区画整理(青梅街道北側の今川など)で、農地を碁盤目の道路と宅地にしたのが有名だけど…
現在の羽村は住宅地として完成していて、家はもちろんインフラも現行の宅地に沿って整備されている。換地による区画整理をしてしまうと、玉突き式に他人の土地に移転したり、最悪そこが空くまで仮住まいをして再度移転したりと、ちょっとあり得ないほど負担がかかる。
見たところ持ち家で長く住んでいる人も多そうな地域。住み慣れた家を出ていけ、といわれるだけでも大変なのに、移転先が別の人を立ち退かせた土地というのも、気持ち的にどうなのか。ご近所さんの家を壊して、そこに自分の家を建てるわけでしょう?
それに、当たり前だけど、土地の価値って細かく違うので、例えば面積が同じでも区画割りが違う、日当たり、駅からの距離、この地形なら斜面の状態も大きく異なる、など、条件が違うところと交換することになる…。ほんと、パズルゲームではないのです。
(用地取得された場所。地域の約1割もの土地が先行取得された。こうして街並みが「歯抜け」になるのも問題)
で、実際行ってみた印象としては、単純にもったいないな、と。
この街並みはそれこそ玉川上水の時代から、少しずつ発展して開発されてきて、地形を活かして自然に作られてきた道路であり住宅地であると感じました。杉並の今川なんかの農地を分譲して一斉に作った区画、もっといえば郊外のなんとかケ丘みたいな不動産会社が作った新興住宅地とは、歴史の重みが違う。
古いお屋敷などは一軒が広くて、大木のある庭がある。当然、昨今問題の樹木伐採も伴うわけです。
街並みの中には井戸もありました。多摩川につながる湧水が崖の中にあるのだろう。このエリアに100基もの井戸が現存しているのに、それがたった1基くらいしか残らないという。
伝統的家屋の損失もあるし、信仰などの文化もなくなる。こうした小さな神社(上:聖徳神社、下 : 水神社)がいくつかあったのだけど、これも地形に沿って祀られてるものだろうから、移転して新しくすると本来の意味が変わってしまう。多摩川沿いには水神社が(これは対象区域外)。
さらに古い時代の話では、三つの縄文遺跡があり、それが地域の3割にも及ぶそう。掘れば土器が出てくるような土地ってことですよ。それをきちんと文化財調査しながらやっていたら、いつまでたっても区画整理できないのでは?あるいは文化財調査をずさんにするのか?
西荻窪補助132号線はじめ、都市計画道路は、すべて今さら?という感じで、もう人や店が定着して完成してる街並みの道路を変えるのは無理筋だと思うんだけど、その中でもこれはとんでもない規模。その上、区画整理でやるのは問題が多すぎるでしょう。
ところで、中里介山。この区画内にあたる禅林寺が菩提寺で、崖の上にある(これもすごい地形)墓地にお墓があるんですが、もう少し西側の玉川上水取水堰近くに生家跡もある。
今回、多摩川を渡ったところにある羽村市郷土博物館(立派!無料!)に行ってみたら、中里介山ルームがあって紹介ビデオを見てきました。作家としてだけでなく、社会運動に取り組んでいた人で、高尾山の方に学校(戦前に教育勅語によらない私塾:隣人学園)を作ったそうです。ところが!ロープウェイの建設で立ち退き!あきる野市の方で再開してみたら、今度は青梅鉄道建設で崖崩れ!かわいそう!
そして今回の区画整理では介山が作った「西隣村塾」跡のところが「中里介山公園として整備」って、要は潰して公園にして名前だけつけるということ?死んだ後まで立ち退き続きとは…
また、郷土博物館にあった古地図(享保年間)。これが今の街並みの原形じゃないですか。地形に沿って自然に作られてきた道路の形です。
これはもう、文化財として街並み保存した方がいいくらいの場所ですよ。歴史の積み重ねがきちんと残っていて、それが見える土地。
多摩川・羽村堰という観光地としても、この道の方が断然歩いて楽しい。
それを潰して、なぜつまらない碁盤目に?
駅前や、羽村大橋に通じる広い道路が必要、と言いますが、ぶっちゃけ、西口のみならず、流入交通があるということになってる東口も、車少ない…
なんと羽村市は40m道路は多摩都市モノレールの延伸のためだ、と言っている!延伸って…今の終点の立川市上北台から7-8kmある…途中に横田基地もある…。
そういえば、基地?歩いている間も、頻繁に戦闘機が低空で爆音を立てていて、東口の八高線の向こうには横田基地があることを意識させられましたが、まさか軍用道路?非常時の滑走路?と疑ってしまいます。
そう思ったのも、東口との対照を見てのこと。東口はかっちり碁盤目の道路の、露骨に新興住宅地。駅前にスーパー、街道沿いにチェーン店、団地、そして広い公園やクリーンセンターなどの公共施設。
だけど一番広いのは、日野自動車。その前の道路はその名も「産業道路福生青梅線」で、自動車工場のために整備された道路を基本とした街並みであることがわかります。
これは駅前にあった地図なのですが、西口(上)と東口(下)の対比がすごくわかりやすいでしょう?
それで、行政というものは東口のような街並みをよしとして、それに統一したがるもの。
これは杉並区(東京都のガイドラインに基づく)の道路整備の考え方。こちらの[都市計画塾]で学びました。
都市計画塾・始動!! 第一回は都市計画道路。第二回、第三回の告知も。 - 阿佐ヶ谷駅北口・杉一小改築問題情報
まさにこの行政の「理想の街並み」が羽村駅東口。
でもこんなのは、先に計画があって、更地にイチから作りあげないと不可能な、人工的な街ですよね。
もちろん西口だって住宅地だから人工的ではあるんだけど、さまざまな時代の人たちがその都度、地形や地盤といった環境に適応してひとつひとつ作ってきたものの集積が、西口型の街ではないですか。それは人間の自然な感覚に近い。
最後に、せっかく羽村に来たので、羽村市立動物公園のご紹介。レッサーパンダ!!
全部碁盤目の東口で、実はここだけが道がくねっている。もちろん動物園を作るときにそう設計して造園したのだが、それは来園者の回遊性と同時に動物たちの生活環境を確保するためです。動物たちは本来の生態環境と違うところに連れてこられて、自然ではまったく共存することのない、たとえばペンギンとキリンが同じ園内に住むわけですよね。彼らは人間よりも嗅覚や聴覚が鋭敏だし、肉食と草食が隣り合わせに暮らすとストレスじゃないですか。
それを敷地内で少しでも隔離するために、くねくね園道にして、飼育舎の間に樹木を入れて、ということがなされているのだな、と感じました。
動物園にたとえるのは失礼かもしれませんが道の設計の考え方としては、くねくねした細い道は人間の場合でも、プライバシーの保護、静かな環境(広い道にして通過交通が増えるのも問題だし)を守るものであり、住民にとっては決してデメリットではないと思います。
せっかくの多摩川の貴重な自然と、玉川上水はじめ歴史的景観と文化を臨む土地なのです。
すべての再開発に言いたいことですが、一度壊したらもう作れないのです。
後編は、住民のみなさんの苦闘の22年(これからも)裁判、行政が何をしているか、のお話です。