(沿道)デザイン会議、がひどかった話。 - ニシオギDRUNKerシンブン
あと、阿佐ヶ谷の方にも関わっている私としては、同じような「あさがやまちづくりセッション」も、出た人から問題があった、と知らされて懸念しています。こちらの記事では「ワークショップ」とはなにか、ということを専門家が解説しているので、それでさらに問題点についてはっきりとわかりました。
あさがやまちづくりセッションの問題点 - 阿佐ヶ谷駅北口・杉一小改築問題情報
そこでしたためた直訴状がこちら。
「デザイン会議」に出したアンケートみたいに罵詈雑言ではなく、きちんと書きました。明朝体でプリントアウトしたし、封筒に猪熊弦一郎のネコちゃんシールも貼ったし。ほんと、区長、読んで(打ち首なしで)。
杉並区長 岸本聡子様
本日は区長が掲げている「対話の区政」について問題を指摘いたしたく、お手紙を書きました。
先日の「(仮称)デザイン会議」に不本意ながら参加し、行政が事業計画について、ワークショップを使うという手法そのものに問題がある、と考えました。私は参加していませんが、「あさがやまちづくりセッション」でも同様の問題があったと聞きます。
気候会議やソシアルサトコズの集会、あるいは区職員の研修としてワークショップをするのは、よいと思います。気候変動を止める、行政で働く、などの同じ目的に向かう人の集まりであれば、互いに交流と意見を深めるには有効でしょう。私もアート系のワークショップに参加したこともありますが「作品を作る」という共通目的があれば、ワークショップは成立します。
それでは「(仮称)デザイン会議」の目的はなんなのでしょうか?補助132,133,221号線を拡幅延伸することです。しかし区の募集に応じて実際に参加したのは、拡幅延伸によって立ち退きや減歩される当事者で窮状を訴えたい思いで来た方々が多数、それ以外にも現在の街を愛し、守りたいという意見の人も多かったです。
そのような「反対意見」の参加者を集め「道路を作るため」のワークショップに参加させるのは矛盾でしかありません。反対している・立ち退きさせられる人たちが、「道路拡幅延伸による沿道のまちづくり」をやりたい人たちと同じ目的に向かうことができるでしょうか。その場で目指される「合意」の選択肢には、拡幅延伸しかありません。なぜなら会議の背景には行政側の事業計画があり、そこには反対意見の方向への「合意」の可能性はありません。
こんなことならいっそ「杉並区は道路を拡幅延伸するので」それに賛成の人限定で対話する、当事者不在の「沿道デザイン会議」であると明言して募集した方が正直です。
「あさがやまちづくりセッション」では「杉一小改築」をテーマにしていましたが、移転に賛成する人(学校関係者以外も)たちだけで新しい学校を考える場として設定されたのでしょうか?
さらに「(仮称)デザイン会議」で使われた、途中で席替えするなどの「ワールドカフェ」形式も、ふさわしくないものでした。席替えは異なる属性の参加者同士の交流目的ですが、道路拡幅延伸に反対、どころか、それで被害を受ける当事者が、道路を拡げてまちづくりをしたい人たちと仲良くなって事業を進めることができますか?
また、席替えなどによって進行をやたらと急かすのも、まったく熟議には繋がらず、それどころか高齢者や障害のある方が多くいる場でまったくバリアフリーではなかった。そして、会議の進行をむりやり区の意図のとおりに急かして進めるのは、それが道路事業を乱暴に推し進めることとシンクロナイズして感じられました。
岸本区長は「対話の区政」を構想する上で、「区民同士が議論する」ための手法として、ワークショップを使われているのでしょうが、なんでもかんでも同じ方法論は通用しません。何度も言いますが、同じ目的に進む人たちのブラッシュアップならよいのです。が、賛否が分かれている、同じ目的に進む意識が確認されていないのに、ワークショップはありえず、それは単なる反対者の包摂・懐柔策になってしまいます。
また、道路事業にしても杉一小移転にしても、ワークショップという方法論自体についても、区民や行政側参加者の間での知識・情報に格差があり、そこでいきなり「区民同士の議論(担当でない行政職員をファシリテーターにしたのも論外)」は無意味です。このケースでまず必要なのは、行政と区民(当事者)のきちんとした「対話」ではないでしょうか。
対話の前提となる情報には、行政の計画だけでなく、当事者の意見や立場(反対含め)を知ることが必須ですが、「楽しいワークショップ」をやりたい非当事者区民からは、反対意見があるのは迷惑、とまでみられています(当事者の方へのブーイングすらありました)。
しかし、広く区民が参画する議論(「(仮称)デザイン会議」にしても「あさがやまちづくりセッション」にしても、今後の「下井草まちづくりラボ」にしても)の大前提として、まずは(困っている)当事者の意見を参加者・行政が徹底的に聞いて知ることが必要ではないでしょうか。抽選で当たった人が短時間のコメント、などではなく、当事者の(反対)意見をすべて述べる場を設け、会議に参加する人すべてが(嫌でも)それを知るべきです。もちろん、区長を筆頭とする行政職員も全員が。当事者の方たちは、行政、特に岸本区長に話を聞いてもらいたいはずです。
それなのに「(仮称)デザイン会議」「あさがやまちづくりセッション」のどちらにも、第1回、「はじまりの会」であるにもかかわらず、区長ご自身が参加されなかったことには驚きました。当事者の方は区長に意見を伝えるチャンスと信じていたし、非当事者では「区長と一緒に話し合う」ことを楽しみにしていた方もいました。何よりも「対話の区政」の旗振り役であり、道路や杉一小事業の責任者である岸本区長の不在によって、誰に何を言っているのかわからない、無責任なワークショップがルーティン的に進められて、終わってしまいました。
区長には今後、きちんと現場を見た上で、「対話」の前提である当事者の意見を反映・共有する方向に切り替えていただきたいと思います。「対話の場を設ける」ことはできている、内容ややり方を修正し、質を高め、実のあるものにするチャンスは今ならまだあります。手遅れになる前に。
*********************************