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再開発に反対するニシオギDRUNKerです。各地レポも。

解説編:判決不当!!石神井裁判

「事業に違法性があるとは認められず、地区内の原告の訴えを却下、地区外を棄却」!!
 
7月29日、衝撃の判決の出た東京地裁石神井公園駅前再開発事業認可差止め・住民訴訟
判決編に引き続き、弁護士さんの解説と、質疑応答です。
判決全文はこちら。
 
判決直後・近隣会場に移動しての報告会と、8月5日石神井庁舎で行われた詳細な説明会の二回分から抜粋してまとめました。尾谷、福田、松本弁護士がわかりやすく解説してくれたのですが、素人まとめなので誤読や抜けがあったらすみません。
正確なところはこちらを。

 

地域コミュニティ | 石神井まちづくり訴訟サポーターズ | 練馬区

 
尾谷弁護士の解説。
 
3月の執行停止から大きく後退。「地区計画はきちんと住民合意を図る手続きがなくてはならない」そういった考え方が踏襲されていない。計画の違法性を認めてもらえるような内容だったが、いろいろあって変節してしまった。
訴えていたことは、第一種市街地再開発事業をやらないで、ということ。
事業をやるには、練馬区都市計画決定をする。その後都市計画決定を踏まえて市街地再開発準備組合が東京都に組合になる申請をする。東京都が組合設立認可処分を出し、準備組合が組合に変わる。第一種市街地再開発は土地の所有権を新しく建てる建物の床に権利変換する。その変換計画を東京都が認可処分、そして工事が具体的に始まる。
今、具体的に工事が施工され、取り壊して整地している状況。
私たちが問題にしているのは都市計画決定で高さ制限が撤廃されたことの違法性だが、組合設立認可についての訴訟なので被告は東京都。計画をしたのは練馬区なので、参加を求めた。結審したあとに組合も参加人として口を出してきた。
 
いろんな議論をしてきたが、何が問題だったか。私たちはほとんどこの二つについてだけ議論していた。
1.建築の高さの最高限度の適用除外を定める手法が合理性を欠く。
2.景観計画の重要性。
 
H18年小田急最高裁判決(複々線化に住民が訴訟)、高裁地裁はこの判断枠組に従って判断する。
都市計画決定の判断過程で「考慮すべき事情を考慮しなかった(考慮すべきでないことを考慮した)」結果「社会通念に照らして著しく妥当性を欠く結論」がもたらされたら違法、ということ。
 
1.地区計画における高さ制限の緩和
裁判所は「練馬区において本件変更前に50m(35m)にしていた理由を考慮する必要はない。土地の高度利用、建物共同化の障害となっているかを検討すればよい」とした。
この判断はまったく理解できない。高さ制限とは高度利用が無制限になるのを止めるためのもの。障害になる、邪魔になるのは当たり前。それを「これまで制限をかけていた趣旨を考慮しなくていい」としている。
変更前地区計画は長い住民参加で作られた。手続き的な配慮と議論が相応にされている。
元の地区計画の50mでの建物をなぜ検討しないのか。50mで事業が成り立つかどうか?練馬区は正面から答えない。練馬区が正面から回答しないことに裁判所も不信感があったはず。まったく回答しないまま判決となった。
裁判所は「大きな必要性が求められない結果、練馬区は考慮すべきであると考えない。準備組合がいくつかの案と収支計画を説明したので相応」としているが、中身はブラックボックスだ。第一種市街地再開発事業では、大きい建物を建てないと採算が合わないので高さ制限を撤廃した。
建築基準法の前身、明治時代の市街地建築物法は高さでコントロールして、31m制限(丸ノ内のビルに適用)。建築基準法容積率になり、平成10年代になって容積率に加えて高さ制限し、周りとの調和を図ろうとした。
高さ制限は調和のためにわざわざやるもの。
こんな判断されたら第一種市街地再開発をやるときは建物の高さ制限を外して自由にやってよくなる。
 
2.景観計画の重要性
景観計画との整合性もトリッキーな解釈。
プラウドとピアレス(タワマン)が駅近くにあり、建った時に議論があり、景観計画が立てられた。石神井公園から見て突出しないこと。ピアレス、プラウドのような高い建物をもう作らないという意志が示されたのが景観計画であり、地区計画できちんと高さ制限を制度化した。区は説明会で「二度と高い建物はできません」と言っていた。
これに対して裁判所は「突出したものを制限する趣旨ではあるが、二度と出さない、とまでは言っていない。都市計画マスタープランが変わり、石神井公園の駅前高度利用する、市街地再開発を重点支援事業としている。地区計画・景観計画の読み方が変わる
マスタープランは上位計画ではあるが、景観計画を変えなくても読み方が変わる?プラウドやピアレスがある前提でそれより突出しなければいい?だから景観計画の整合性は問題ない?
こんなトリッキーなのは初めて見た。
 
3月の執行停止決定のときは全然違うことを言っていた。
「地区計画は都市計画の中でも狭い範囲について定める。住民合意が必要」だと。感動しました、裁判所がようやくここにたどり着いたか。本来的には全員合意が望ましいという国会答弁も出ている。
 
判決棄却となったが、正直理解しがたい。これまでの高さ制限まったく考えないでいい、景観計画で制限してもマスタープラン変わって骨抜きにしていい。こんな判決されたら再開発やりたい放題。合意形成なんか不要ということになる。
この判決は一律適応される。都市のあり方を決めるときに住民合意を無視していい。これを許したら大きな禍根を残す。
 

石神井庁舎から見たプラウド(野村不動産)。

駅ビルのEmio。これでもニシオギにとっては超高層タワマン。

質疑では、裁判所が判断をなぜ変節させたのか?に、まず疑問の声が上がりました。
Q:品田裁判長は真摯に聞いていると信じていた。私たちの主張を理解し、練馬区にきちんと返事し3月からの変節にはなんらかの忖度があったのか?
A:憲法上裁判官は自己の良心で判断、圧力で変えてはいけない。直接の圧力とは考えられない。
3月の地裁の執行停止決定を、私たちの直接の声を聞いたこともない高裁が覆したのは変節の動機にはなるのでは。その時点ですでにドラフトを書いていたはずの左右陪席が、高裁が覆したタイミングで異動したため、結審のあと2カ月半くらいかけて書き直した。3月の時点では執行停止に沿う判決のはずだった。
それがいつも通りのよくわからない保守的な判断に変わった。
地裁が勇気を持って執行停止を出しても、高裁に判断がひっくり返される。その結果工事が進み、事情判決(違法でも無効と判断しない)。
地裁の判断を覆したのが高裁だから、控訴してもちゃんとした判断がされるかわからない。これまでも属人的な考え方に振り回された。
しかし、地裁の判断をこのまま追認することは影響が大きい。最終的に控訴して高裁の判断を仰ぐ。
 
Q:裁判とはこれこれこういう理由で棄却、とは、ならないのか?いきなり棄却するだけか。発端が住民に説明がない、地区計画は住民全員に納得してもらうものというのを役所が破っている、裁判長がひと言も触れない。
A:理由の説明があってしかるべき。大切な視点。口頭弁論を公開でやるのは、権力の行使をみなが監視できる趣旨。結論だけ言うやり方は、公開の法廷でやるべきか、裁判所も見直してほしい。
今回の裁判長は3月までは真摯に耳を傾け、それに沿っていた。一番議論していたことを「考慮要素ではない」で切ったのはなぜか。納得しかねる。
 
Q:大義とか正義はわかる。勝つための戦略は具体的にはどうやって?
A:これからロジックを話し合う。一般論としては法律論だけで勝つ控訴審はない。事実が重要。マスタープランを変えた経緯、景観計画を作ったとき、ひとつひとつの議論を改めて見直す。裁判所が判断したのがこれでいいのか、当時の議論から掘り起こす。事実を緻密に確認して主張を組み立てる。
Q:当時の議論、区の公聴会では反対多数だったのに、練馬区は「いい感じ」だったとまとめた。公聴会や都市計画審議会の議事録は使えるか?
A:基本的には手に入る。「自由な議論が阻害される」として議事録が書かれていない場合は、どうするか。
Q:区と住民の合意形成うまく行っていないと思うので、そこをついてほしい。
 
Q:練馬区立美術館・貫井図書館(複合施設)建て替え問題に取り組んでいる。費用が70億と言っていたのが100億に。さらに美術館・図書館だけでなく、事業が中村橋周辺の「まちづくり」になって街のあり方を大きく変えるものになった。小池都知事東京大改造に沿って練馬区はやっていきたいのでは。中央区や渋谷区みたいなまちづくりに追いやられる。
尾谷:前川区長は元・東京都庁の都市計画局、築地移転の担当。小池都知事と一定のつながりはあるだろう。
 
Q:再開発における公共性を問うているのか。マスタープラン以外が御破算にされる。この判決は、行政がやることは絶対というお墨付きになっているのか。
A:決して行政が絶対とは言っていない。広範な裁量はあるが、考慮すべきことをしないのは違法になる、という考え方。
マスタープランが変わって景観計画の読み方が変わる、都市計画が上で景観計画が下、上位計画が変わって読み方を変えていいなどというのは初めて見た。景観計画の経緯、趣旨などは改めて問い直さねばならない。
地区計画というローカルな仕組み、住民参加の上で高さ制限を決めた。それを覆すのに上位のマスタープランで重点事業として位置づければいい、ということになる。パブリックコメントはやっているが、そのような密度の参加に基づいて政治的な意向が反映される文書。それと住民が作りあげたものとどちらが大切なのか。裁判所はマスタープランに書けば変更していい、とした。都市計画のあり方に関する深刻な問題。事業者はうるさい住民を相手にしなくても、区のトップを動かせばいい。地域住民による取り組みを踏みにじる判決だと感じる。
 
マスタープラン改定、行政のあり方については、両日とも参加していた池尻成二区議が詳しく語ってくれました。
 
強い憤りを感じる。
マスタープランの改定は志村前区長が亡くなる直前に素案が出て、前川区長が再開発を公約にして大幅に書き換えた。素案が2014年にできて、石神井公園再開発は入ってなかった。2015年の原案で再開発が入ってきたが「市街地再開発の事業を使って」とあるだけ、高さ制限のことは書いてない。素案と変わったのに公告縦覧しかやっていない。説明会もやってない。
そんなマスタープランでなにもかもOKとは恐ろしい。マスタープランとは抽象的、一般的なもので、地区計画こそが個別の地域を反映したもの。まちづくりの民主主義が消えてしまう。
練馬区内にはたくさん地区計画があるが、住民参加、住民合意があったのは石神井公園練馬駅だけ。景観計画に反映されている。それ以外は道路にくっつけたものだ。それが必要あればいくらでも変えられるというのは住民合意が否定された。
今回の地区計画で、住民参加したまちづくり懇談会は合計7回。市街地再開発の説明があったのは7回目が初めてで、「駅前の顔作り」とだけで、高さ制限の話は出なかった。懇談会が終わって初めて100mの話が出てきた。
都市計画審議会で部会長が「採算性で100m作っていいといっていたら石神井公園が武蔵小杉になってしまう」と言っている。
まちづくり、自治の流れが大きく転換させられる。
 
5月の裁判についての記事はこちら。